優秀の基準「どこでも生きていけるか」

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先日、友人から「優秀な人の基準って何?」と聞かれ、
「どこでも生きていけるか」と答えた。
つまり、生きる力をもっているかどうかだと思います。

新自由主義の限界

まだ近代的な手法は通用しますが、新自由主義がいきつく3つの大変動要因によって近代的手法の限界を迎えます。
  1. 資本主義による格差拡大
  2. グローバル化による競争原理の激化
  3. ロボットによる自動化
これらが人に与える影響は計り知れず、今まで考えられない歪んだ環境をつくりだします。
経済格差による歪みの例として、「独立する富裕層」
http://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2014/04/0425.html
 
<引用>
アメリカの自治体に異変が起きている。「州」の下の行政区分である「郡」から“独立”する「市」が相次いでいるのだ。独立運動の中心は高級住宅地に住む富裕層。その動機は「所得の再分配」と「効率の悪い政府」への不満だ。
このように人と人の心が遠くなっていく、より不確実な世界へと突入します。
そこで最も必要となる能力は、「どこでも生きていける」という、生きる力。

他人がデザインした道をトボトボ歩くより、
自分でデザインした道をつくり、希望を切り開いて見たい風景、見たい人の表情をつくっていくことが重要。

アマルティア・セン「ケイパビリティ」

インド経済学者アマルティア・セン(1933年~)が提唱した概念「ケイパビリティ」とは、「生きたいように生きる力(潜在能力)」としている。

アマルティア・センは、多くの人がケイパビリティを獲得できるように、
社会がそれを保護する必要性を著書「人間の安全保障」で強調しています。

僕が10代の時に、いじめを受け、引きこもり、学校が嫌い!になった生きたいように生きれなかった痛烈経験からも、ケイパビリティが必要だと感じています。
 
いまだ資本主義に代る魅力的な提案がない世界で、
その限界を迎えようとしている中、どこでも生きていけるように、
「生きたいように生きる力」を身につけるための条件を考えていきます。